「チャンピオンは2014年鈴鹿で奪い返す」 柳川明選手の確固たる決意

2014/02/21

AI2Q0995yana01あっけない幕切れでチャンピオンは幻となった

2013年度、もっとも悔しい思いをしたライダーはチームグリーン・柳川明選手だろう。最終戦、第1レースで今季4回目の表彰台に立ちランキングトップに躍り出た柳川選手だったが、第2レースで無念の第2位。わずか1ポイント差で逆転され自身初のシリーズチャンピオンの座を奪えなかった。

「勝つ自信はあった」と柳川選手は話す。「自信だけではなく、プランも描けていました。その手ごたえを第1レースでつかみ取っていたし、あの不可解な展開になるまでは思い通りのレース展開でした」と振り返る。しかしレースは成立。柳川選手にとってもカワサキファンにとっても、なんともいえない2013年の幕切れとなった。
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柳川ノートを眺めながら600キロを西へ
 ところで、柳川選手は毎レースごとに自分のレース展開をノートにしたためている。マシンの挙動、タイヤへのコメント、セッティング内容など、思いついたことを自分の言葉で書きとめる。ノービス時代に始めたこの『柳川ノート』は、ヨーロッパ転戦時もアメリカでのレースでも、MotoGPに参戦したときも途切れることなく続き、積み重ねると百科事典並みの厚さに達している。もちろん2013年度最終レースについても書いた。書いたけれど、合点がいかなかった。

そのノートを助手席に置いたまま、柳川選手は鈴鹿サーキットを後に自宅のある福岡に向けてキャンパーを走らせていた。眠くなかった。冴えていた。見るとはなくノートに手をのばし、メモ書きに目を落としながら走り続け、気が付くと福岡で夜明けを迎えていた。「道中のことはほとんど憶えていません。アタマの中で第2レースを何度も何度も再生しているうちに福岡まで来ていました」。

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安静2か月のけがを押してグリッドに並んだ理由

時計の針を半年ほど前に戻す。シーズンを目前に控えたテスト走行で柳川選手は激しく転倒。釈迦堂監督の運転するクルマで福岡の救急病院に搬送された。5本ある腰椎のうち4本を骨折した柳川選手は「2か月の安静が必要」と診断。「完治2か月」で
はない。7戦・8レースしかないスケジュールを考えると、前を棒に振るようなものでシーズン前にシーズン終了を宣告されるのに等しかった。

「2週間でバイクに乗れるカラダにしてください」。

柳川選手は無茶を言った。動かぬ体で無茶を言いたくなるほど、2013年のNinja ZX-10R は仕上がりがよかった。誰よりもその手ごたえを柳川選手が感じていた。動いたのはDrPHOBEの松嶋医師と倉光トレーナーだった。自身もライダーとしてサーキットライフを楽しむ松嶋医師は、2011年度から柳川選手のフィジカルメンテナンスを担当している。事情をたちどころに呑み込んだ松嶋医師は八方手を尽くし、開幕戦ツインリンクもてぎのグリッドに柳川選手を送り込んだ。
 狙いは「ポイントを落とさないこと」だった。2週間後の鈴鹿でのレースも「ポイント差をあけられないこと」だけに照準を絞り4位チェッカー。柳川選手本来の鋭い走りからはほど遠く精彩を欠く走りだったが、チームの作戦は的中。後半戦に向けた布石は着々と打たれていたのである。
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2013年シーズンは今シーズンへの布石か

 そして最終戦。シーズン前から積み上げてきた戦略がまさに実ろうとしていた。大逆転によるチャンピオン奪取。残り3ラップまできていた。先行する中須賀選手をとらえるポイントも決めていた。伏線は張ってあった。あの不可解なレース展開だけが計算外だった。

シーズンオフ。柳川選手にとって最終戦は終わっていなかった。

劇的な幕切れの2か月後、柳川選手はチームグリーンのパーティ会場の檀上に立っていた。2013年を共に戦ってきた渡辺一樹選手とともにチームグリーン創設30周年を祝う会場に招かれていたのである。その会場で2014年度のサプライズ発表が行われた。鈴鹿8時間耐久レース参戦が明かされたのである。思えば3年連続で井筒仁康選手とともに走った2001年以来、実に13年ぶりの参戦となる。このニュースにカワサキファンは溜飲を下げた。待ちに待った瞬間が訪れたのだ。

「2013年の悔しさを返すのはやはり鈴鹿で」。

8耐を含め、開幕戦にMFJ-GPの2戦を加え,そのチャンスは今年4回訪れる。そしていまだかつて手にすることができなかったチャンピオンの座を柳川選手は狙いに行く。

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 text ; Mihiro Hayashi
photo : koma
special thanks  : DrPHOBE  Dr. Tetsuya.Matsushima, Hisashi.Kuramitsu

matsushima写真左から倉光トレーナー、柳川選手、松嶋医師