Mishina’s Eye Vol.1

モータースポーツファンの皆さんお元気ですか? みし奈昌俊です。

ミシナ???って誰?という方が大勢で、ごく一部の方だけがご存知かもしれませんね。
一応、肩書みたいなものとして「モーターサイクルスポーツ・コメンテーター」あるいは「レース・コメンテーター」と勝手に名乗らせていただいています。簡単に言えば、2輪レースのしゃべり屋です。

当初「実況アナウンサー」と紹介されることがほとんどでした。でも私は「アナウンス(告知)もするけど、アナウンサーではありません!」と毎回断るのがメンドーになったんです。海外では解説者や実況者をコメンテーター(Commentator)としていることが多いようなので、私もそれに倣いました。当時世間では「コメンテーター」というカタカナ言葉はあまり使われていなかったかもしれません。コメンテーターを説明するのがメンドーな時は「実況放送者」とも言ってました。

1979年、私が二十歳の時、初めて鈴鹿サーキットにレースを見に行きました。当時国内最高峰のF2、4輪のレースでした。グランドスタンドに座った私の目の前を走り抜けるフォーミュラカーから発せられる轟音、そしてスピード。圧倒されました。でもそれだけでした。そして後日オートバイの全日本選手権も見に行きました。衝撃でした。2サイクルレーサーの甲高いエキゾーストサウンド、オイルの焼ける匂い、テール・トゥ・ノーズ、サイド・バイ・サイドで触れ合わんばかりの闘志。「絶対抜いてやるんだ!俺は負けない!」っていうオーラがライダーの背中からメラメラと立ち上っているように感じました。抜きつ抜かれつのバトル。興奮している自分がいました。それとは反対にスタンドの屋根に反響しエコーがかかった場内放送は、淡々と、冷静に順位を伝えていました。グランドスタンドの疎らな観客は、実にお行儀よく見守り、コースと観客席はまるで別世界のように感じてしまいました。私が感じた興奮や感動をみんなで共有したい。コース観客席を1つの世界にできたら・・・。しゃべり屋を目指していた私にできること、やらなきゃいけないこと、それは自分が感じた興奮をそのまま伝えることだと思いました。自信なんて全くありません。またレースのことなんて全く何も知らないし、どんな人が戦っているのかも知りませんでした。

翌1980年に鈴鹿サーキットの場内放送見習いとして放送室に入れてもらい、2輪、4輪すべてのレースに行きました。右も左もわからない若造に先輩たちは教えてくれるはずなんてありません。だから言葉は悪いけど、「見て、聴いて、盗む」。先輩たちの良いところ、悪いところ、足りないところを自分なりに勉強させてもらいました。

その年の第1回鈴鹿4時間耐久レースで先輩が「途中ちょっと抜けるから、お前繋いどけ」って突然マイク渡されました。ほろ苦い、いやハードビターな実況デビューでした。トップ3しか順位わからず、いつ交代するかもわからず、いったいどのチームがコースのどこに居るかもわからず・・・わからないことだらけ。唯一わかっているトップ3の順位を言うだけの最低なモノでした。サーキットにいた全ての方に申し訳なかったと思っています。出来るかもしれないと思った自分、何もできなかった自分。悔しくて悔しくて、いや情けなくて・・・。それからサーキットには練習日から行き、パドックでチームの作業を見つめ、恐る恐る話しかけてみたり、チームやライダーの雰囲気を自分なりに感じとっていきました。決勝を先輩がしゃべっているのを隣で聴きながら、この選手は練習ではどうだった、こうだったって情報提供したり、自分ならこれを喋るのになぁとかイメージトレーニングしてました。でも、イメージするのと実際にマイク握ってしゃべるのでは、大きな隔たりが・・・すべて自分のしゃべり屋としての技量不足なんですが。

実況放送見習いとして国際レーシングコースで行われるレースのほとんどに行きました。さらに鈴鹿サーキットにはスタンドからコースのほとんどを見渡せるモトクロス場もあり、全日本選手権やオールスターモトクロスなどが開催されていましたので当然のように行きました。モトクロスを初めて見たとき単純に「スゲェー!」。横一線のスタート、ダートを尋常ではないと思えるスピードで走り、ピョンピョンというかドスンドスンと跳ね回り、土や小石を跳ね上げながら轍と闘いコーナーを立ち上がる姿に圧倒され、ロードレースの絶対スピードの高さ、コーナーリングの優美さに対して、バイクをねじ伏せながらライバルと闘う、よりワイルドな格闘技だと感じました。当時MFJのモトクロス日本グランプリは、三重県の鈴鹿サーキット(ホンダ)と宮城県のスポーツランド菅生(ヤマハ)のモトクロス場で隔年開催されていました。1981年は菅生で日本グランプリだったのですが、どうしても見たくて車中泊で見に行きました。鈴鹿以外の大きなレースを見に行くのは初めてでした。菅生のコースはフラットな鈴鹿に対して山の斜面を生かした自然に包まれた雄大なコースという印象でした。ロードレースも面白いけど、モトクロスも魅力的だなぁ、もっと色々な場所で様々なレースを見てみたい衝動に駆られました。アメリカでは、スタジアムに土を運び込んでモトクロスをやるイベントがあるって知ったのもその頃です。アメリカまでは見に行けないし・・・でも見たい! その願いが通じたのか? 1982年11月に東京の後楽園球場で日本初のスタジアム・モトクロス「’82ジャパン・スーパークロス」が行われることになりました。スタジアムでモトクロスってどんなものか実際に見てみたくて、MFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)にお願いしてパスをいただけることになりました。
知らない世界を見られるということでワクワクしながら当日を楽しみに待っていたところ、開催日の少し前になって「どうせ見に来るなら日本語の場内放送やってね」にこやかな声でMFJから連絡があり、電話を置いた瞬間、ワクワクにドキドキ、ハラハラ、出来るのか俺?すごく複雑な心境になったのを憶えています。

だいぶ以前のことなので忘れかけていること沢山あります。つらつらと書き始めると長くなりそうなので、1982年の第1回後楽園ジャパン・スーパークロスについては次回!
当時の資料(あったっけなぁ)をひっくり返しながら記憶を呼び覚ましてみます。