Mishina’s Eye Vol.15-2

森脇写真_1984_12_9_AUS_18スワンシリーズ最後の戦い、15周のレース2はキャンベルが欠場し9台が横1列に並んだ。ガードナーはこのレース上位でゴールすればタイトル獲得。マッケルニアが逆転するには自身の優勝とガードナーがリタイアか下位に沈まなければならない。可能性はゼロではないがかなり低い。レーススタート。八代が大きく振られスタート失敗し最後尾へ。ドーソン、ペイスが好スタート。その2台が後続を少し離して1周目のコントロールラインを通過。3番手にガードナー、4番手にマッケルニアと続いた。3周目の1コーナーでガードナーがペイスを捉えて2位へ。さらにマッケルニアもすかさずペイスを攻略して3位に上がる。ペイスの後方は少し離れてフィリスが5位、イッドンとミドルミスが6位を争う。八代は一人抜いて8位に上がった。

森脇写真_1984_12_6_AUS_74周目ガードナーとマッケルニアがテール・トゥ・ノーズでペイスを引き離し一騎打ちとなるが、トップのドーソンは快調に飛ばし二人を引き離していく。離されたペイスの後方にフィリスが迫り4位争い。7周目、マッケルニアが3コーナー立ち上がりでガードナーを抜き2位に浮上。ペイスを追いかけていたフィリスがエンジントラブルでスローダウン。これでイッドン5位、ミドルミス6位、八代7位となった。8周目、今度は2コーナー立ち上がりでガードナーがマッケルニアから2位をもぎ取る。そしてホームストレートでマッケルニアがスリップから抜け出し再び2番手。10周目、ドーソンは独走でトップを守っている。2位争いはガードナーが様子見か、つかず離れずでマッケルニアを伺っている。5位争いはイッドンの前にミドルミスが出た。八代は単独7位を走行。13周目の3コーナー、ガードナーがマッケルニアのインをつき2番手へ。ホームストレートでスリップからガードナーに並んだマッケルニア。14周目の1コーナーはガードナーが抑えるが、2コーナーでマッケルニアが前に。サイド・バイ・サイドで14周を終え、意地をかけた闘いは最終ラップへ。1コーナーはガードナー、しかし2コーナーではマッケルニアがトップ。そして3コーナーでガードナーが強引に奪い返す。

森脇写真_1984_12_9_AUS_15結局レース2は終始トップを走ったドーソンが優勝を飾り、2位争いは最後までもつれた。最終コーナー立ち上がりはマッケルニアが先に出てきたが、真後ろについたガードナーがスリップストリームから並び、2台ほぼ同時にゴールラインを駆け抜けた。4位でペイス、5位イッドン、6位ミドルミス、八代はスタートの失敗が大きく影響して7位でゴールした。果たして2位争いはどっちが前だったのか。正式結果を貰ってこなかったので記憶は定かではないが、そんなことはどうでもいい。ガードナーとマッケルニアのGPライダーが、目の前でお互い一歩も引かない壮絶なバトルを繰り広げてくれた。3戦6レースが終わり、1981年にモリワキZ1でチャンピオンを取っているワイン・ガードナー選手が、それに続いてスワンシリーズ2度目のタイトルを獲得した。森脇写真_1984_12_9_AUS_26

 

森脇写真_1984_12_9_AUS_24初の海外遠征となるモリワキレーシングの八代俊二選手は第1戦第1レース7位、第2レース9位。第2戦第1レース10位、第2レース6位。第3戦第1レース7位、第2レース7位。ランキングは・・・。宮城光選手は第1戦第1レース15位、第2レース13位。第2戦第1レースで転倒し左鎖骨骨折でオーストラリアのレースは終わった。サーファーズパラダイスに架かった180度の虹を見ながら、この3週間の戦いにそれぞれ思いを馳せたことだろう。きれいな虹だった。

さぁ、この後は隣国ニュージーランドがモリワキの挑戦を待っている。

つづく

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