Mishina’s Eye Vol.13

1984_Australia-12-1_1138オーストラリアに着いた最初のころだと思うが、ロブ・フィリス選手がモリワキ一行にオーストラリア特製(?)のステーキを食べさせてくれるということで、ある晩どこだったか全く覚えていないがステーキハウスへ揃って出かけた。店の前でフィリス選手と一行は落ち合ったのだが、ディナーなのにフィリス選手は何故か大きな犬(ボクサー犬だったかな)を2頭つれてきていた。彼らも我々に愛想を振りまき迎えてくれた。なんて可愛い奴らだと思った。我々が食事の間、彼らは車の中でおとなしくまっているようだ。

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テーブルにつくとお店の人がサーロインにするかフィレにするか、焼き加減はレアかミディアムかウェルダンかと一人ひとりに聞いて回った。オーストラリアのステーキは一体どんなものだろうか・・・期待に胸ふくらませてみんな待っていた。それぞれに大盛りのサラダが出てきた。兎に角お腹が減っていたので、出てきたサラダをバクバクと食べていると、直径5cm、長さ30cmはあろうかという太くて大きなソーセージが皿に乗ってやってきた。それも2本づつ。「え〜、これがこの店のステーキ?」と顔を見合わせながらも、とりあえず「肉だ!」と食べ始めた。しかし食べても食べてもこのソーセージなかなか無くならない。「結構おいしいねぇ〜」なんて話しながらも何とか2本を完食。満腹感にホット一息。それから暫くして、キッチンから続々とジュージュー音を立てながらステーキが運ばれてきた。私はサーロインをレアで頼んだのだが、目の前に置かれたステーキを見て唖然とした。厚さ3、4cmくらい、大きなステーキ皿から肉の両側がはみ出る大きさ、重さも1kgをはるかに超えている・・・「これ罰ゲームですか?」と言わんばかりの巨大なステーキ。私はソーセージをバクバク食べるんじゃなかったと後悔したが後の祭り。ヒーヒー言いながら口に運んでみるものの、半分弱いや3分の1食べるのが精いっぱいだった。回りを見回してもステーキを食べきったメンバーはいなかった。いや、オーストラリア人はサーロインの脂身以外ほぼ完食していた。スゴイ!

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ステーキに悪戦苦闘している最中、厨房からシェフがやってきて「うちのステーキは最高に旨いだろ。心を込めて焼いたから、残さず食べてくれ!」と満面の笑顔をのこして厨房に去って行った。我々が「もうお無理」とギブアップしたのを見計らって、フィリス選手はおもむろにビニール袋を取り出し、一行の前に残っていたステーキを詰め込んでいった。全部で5kgくらいはあったんじゃないだろうか。そしておとなしく待っている彼らの元へニコニコしながら持って行った。フィリス選手がディナーに犬を連れてきた理由がこの時わかった。彼らもご馳走がもらえるのを知っていて我々に愛想を振りまいたのかもしれない。それとオーストラリア人のタフさは食の違いにもあるんじゃないかと思った。

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さて、11月30日金曜日、二つ目の事件の日。私は八代選手や宮城選手の朝一の走行を、森脇さんと一緒にピットロードとコースを隔てるガードレールのところで見ていた。路面の状態もあまり良くないのだろう。最終コーナーを立ち上がってメインストレートに出てくるとマシンが小刻みに振られる。ガードレールから1.5mほどのところがストレートの走行ラインになっているが、9時50分ごろ、その周、宮城選手はハンドルがバタバタと振られるのを懸命に抑えながらストレートを走ってきた。でもマシンはどんどんとガードレールに寄っていく。宮城選手はガードレールとマシンに挟まれないように身体をマシンの左側に落としながら懸命にコントロールしようとしていた。しかしマシンはガードレールに接触し、宮城選手はマシンを離しコース上に転がった。幸い宮城選手に怪我はなかった。

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ガードレースに接触した時にアクセルが開いたままになったようで、乗り手を失ったマシンはどんどん加速しながらストレートを走っていく。雑賀メカと私は全速力でピットロードを走りマシンを追いかけていくが追いつくわけがない。ストレートの終わりでコースは左に曲がっていくが、当然無人マシンは1コーナーを曲がるそぶりも見せずグリーンに突っ込んでいった。グリーンに入っても走り続けるマシン。敷地の外れまで広がっているグリーンは200m以上はあるのだろうか、途中地形のアップダウンや何本か溝があるが「モリワキZero−X7、荒野を走る!」といった感じでどこまでも走っていくように見えた。しかし地面の凹凸で高々と離陸したマシンは重力には逆らえず、遂に着地に失敗しもんどりうって縦に横に何回も転がった。衝撃でアルミ燃料タンクは吹き飛び、ホースやキャブから漏れたガソリンでマシンに引火。ゼイゼイ言いながら漸く1コーナーのグリーンにたどり着いたころ、ピットロードから消火器を持って走ってきたスワンシリーズのTシャツを着たスタッフが追い越して行った。彼らの消火のおかげで黒こげにならずに済んだが、マシンは消火剤まみれ、激しく転がったのでほぼ全損状態だった。

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ガレージに戻ってきたマシンはガレージ前で土や草、消火剤などが洗い流されてからガレージの中へ。雑賀メカ、二橋メカ、ケンドール・メカたちがマシンの解体作業。各部の損傷は? 使えるパーツはあるのか。限られた機材、部品と時間の中でメカニック達の苦闘が始まった。まさか持ってきていたスペアフレームの出番が来るとは・・・。

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12月1日土曜日。ほぼ徹夜の作業だったと思う。雑賀メカは完徹だったな。朝、メカニックたちが組みあげた宮城号を森脇さんがチェック。そして新しいカウルが付けられ、11時半ごろには車検の列に八代号とともに加わることができた。スゴイぞモリワキと心の底から思った。その日の宮城選手の走行は組みあがったマシンの走行チェックとレースに向けてのセットアップと、少ない時間の中でもがいていたと思う。

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そしてその日の夜。モリワキ一行でレストランに行った。いつもより少し重たい空気の中で夕食を食べ終わった。雑賀メカは両手で頬づえをついて眠ってしまった。それに気が付いた森脇さんは悪戯心が顔を出したのか「せっかく寝てるんだからそのままにしてあげよう」と、そーっとその場を離れて店の外に出た。当然ほかのメンバーもそれに倣った。ぽつんとひとり取り残された雑賀メカ。そして怪訝そうな顔をする店員さんに森脇さんが何事かを頼んだ。心得たとばかりその店員さんはニコニコ顔に変わり、森脇さんの悪戯に協力してくれた。すっかり寝ている雑賀メカのそばにより話しかけると、驚いて飛び起きた雑賀メカは回りをキョロキョロ。店の外にいる我々に気が付いて照れ笑いしながら歩いてくる。その様子を入口扉の隙間から見ていた我々は、雑賀メカには申し訳なかったが大爆笑となった。その場の空気がこれで一気に変わった。これが森脇マジックなのかもしれない。

つづく

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