「Mishina’s Eye」 Vol.0

このコーナーは二輪レースの場内実況放送の大先輩・みし奈昌俊さんが印象に残っているレースのコラムコーナーです。

筆者の世代はみし奈さんの実況放送を聴いて育ってきました。その語りでサーキットビジョンがなくてもレースの状況がわかるのです。そして感情のこもった熱い実況。その実況放送に何回感動したことか。。

筆者は実際には聴いていないのですが1986年の二輪雑誌にみし奈さんを端的に物語るエピソードが記載されていました。

1985年全日本ロードレース最終戦鈴鹿、GP250ccクラスの決勝。清水選手、樋渡選手、斉藤選手の3人のライダーが抜きつ抜かれつの熾烈なトップ争いを展開していました。トップに立った樋渡選手が最終シケインで転倒。スタンドがどよめきに揺れる中、樋渡選手は立ち上がり、マシンを押して再び走り始めます。しかし、エンジンがかからない。そのとき。。。

 「樋渡、再スタートしろォー!」叫びとも怒号ともつかぬ声がサーキット中に響き渡りました。「再スタートするか?」であれば通常の実況でしょう。でもみし奈さんは「再スタートしろォ!」と叫んだ。イヤ、叫んでしまったのだと思います。後にこのひと言が「私情をはさんだ実況」と物議を醸したらしいのですが、その時の観客の中で「再スタートしろ!」と心の中で叫ばなかった人はいない、と、この雑誌の記者の方は語っています。

みし奈さんとはそういう人です。お客様とレーシングライダーの距離を縮め、一緒にレースを闘う気分になれる、そんな実況放送だったから筆者を含め多くのお客様が二輪レースの魅力を十分に味わうことができました。

そんなみし奈さんが印象に残ったレースを語ってもらいます。

残念ながら、音声による実況はできません。ですが、みし奈節は顕在です。

往年のレースファンの方は懐かしみながら、若いレースファンの方々は昔のレースの面白さを、このコーナーで感じ取っていただければ、と思います。。

前置きが長くなりましたが、みし奈昌俊さんの簡単なプロフィールを下記いたします。

みし奈昌俊(みしな まさとし)

1959年 3月27日 横浜生まれ

1979年 大学在学中、名古屋でタレント活動を始めると同時期より三重県・鈴鹿サーキットで2輪・4輪のモータースポーツ場内実況放送に携わる

1980年、第1回鈴鹿4時間耐久オートバイレースで実況デビュー、82年に開催された第1回ジャパン・スーパークロス(後楽園球場)を皮切りに、以降の川崎球場、西宮球場、福岡シーサイドももち、神宮球場など、日本で開催されたほとんどのスーパークロス場内実況を担当。83年84年多摩テック、鈴鹿サーキットで開催されたスタジアムトライアルや、鈴鹿サーキット、筑波サーキット、スポーツランドSUGOなどの全日本ロードレース。鈴鹿、SUGOなどの全日本モトクロス。鈴鹿8時間耐久ロードレースなどの場内実況。

その間、岐阜放送ラジオの生ワイドやテレビのバイク番組の司会やアニメーションビデオ「風を抜け」や映画「F2グランプリ」「パッセンジャー-過ぎ去りし日々」の実況放送役。日本衛星放送(WOWOW)のWGP、DTMなどのモータースポーツ番組の実況。MotoGP、F1、WRC他、モータースポーツ関連のビデオ・DVD、パソコンゲームソフトのナレーション、イベント司会などをおこなっている。

2000年シーズンを持って、サーキットの場内実況放送からは退いているが、以降も毎年、世界GP(MotoGP)や鈴鹿8耐には出かけている。