2025年全日本ロードレース最終戦鈴鹿の公式予選。中須賀克行(YAMAHA FACTORY RACING TEAM)は2’05.929で2番グリッドを獲得。これには場内から「信じられない」とのどよめきが起きた。何故か。
木曜日の特別スポーツ走行で中須賀はヘアピンで激しくハイサイド。2mくらいの上空から路面に叩きつけられた。翌金曜日、午前中の走行はキャンセル、午後は走行するもののトップから3秒落ちの12番手。
実は骨折していた最終戦
マシンから自力では降りられない程の身体の痛み。誰もがこのレースは無理だと思った。しかし、翌日の公式予選で2番グリットを獲得したのだ。どこからそんな力が湧いてくるのか。
何故そんな身体で走ったのか?聞いた。
「ライバルたちにプレッシャーを与えたかったから。まだ俺は諦めていないぞ、と言う姿勢を見せたかったから」と答えた。
実はこの時、本人も気づいていなかったが左足甲を骨折していた。右肩も亜脱臼し満身創痍ながらも「勝つ」ことを諦めない中須賀はコース上に出る。
苦境や逆境でも決して諦めない。無いものねだりはせずその時にできる限りのことをやるだけ。
それが中須賀克行の流儀。
平野歩夢選手の覚悟
中須賀と同じアスリートをミラノ・コルテナオリンピックに見た。スノーボードハーフパイプの平野歩夢選手だ。平野選手はオリンピックの27日前のワールドカップで骨盤の右腸骨などの複数箇所を骨折、膝にも重度の打撲を負った。特に右腸骨の骨折が深刻で、一時的に車椅子や松葉杖が必要な状態だったがオリンピックに出場、自身初のルーティンを決めて7位に入賞、日本中を感動させた。
「当たり前に悔しい気持ちしかないけど、ステージに死ぬ気で立たないと失礼だと思い、最後はもう人間をやめてましたが、行くも地獄引くも地獄の紙一重の世界で改めて命ありきだなと、生きてる事に感謝せざるをえない気持ちを改めて痛感しました」
「これからもどんな時も自分達を客観的に見て、毎日今日が最後だと思ってやるべき事をやるだけです。それはどんな時も変わらないものだと思います」
どんな状況でも言い訳などせず、その時に自分にできることを精一杯やるだけ。壮絶な戦いの中に身を置いているのは平野選手も中須賀も同じ。
「生きて帰って来られて良かったです」この平野選手のコメントは筆者の心の奥底に刺さった。
ドライだったら勝負に出ていた
決勝レース1は雨の予報だったが微妙なコンディション。スタート進行時はパラパラと雨が落ちてくるが路面が濡れるほどではない。ウェットタイヤかスリックタイヤか判断が難しいところだ。しかし、ウォームアップ走行が始まる前から一気に雨脚が強くなり路面が濡れ始めた。グリッド上でタイヤ交換など慌ただしくなった。
しかし中須賀はタイヤ交換せずにそのままコースイン。西コースを走る頃には完全にウェット。スプーン立ち上がりではリアタイヤが大きくスライド。誰の目にもスリックタイヤでは無理だとわかった。そのまま中須賀はピットに戻りレースをキャンセル。
判断ミスではなくチーム判断
SNS上には「何故スリックタイヤを選んだのか」「中須賀の完全な判断ミス」と心無い投稿も見られた。
しかし、レース前から「ドライなら走る、ウェットならキャンセル」とチームは決めていた。「怪我をしている状態でのウェットレースは危険と判断したためレースをキャンセルする決断をしました」とチームは発表。
「雨雲レーダーを見ていたら決勝レース中は保つかな、と思いました。ドライなら走る。5秒台に入れるスピードはあるので勝負するつもりでした。でも、雨だったら転倒や他車との接触事故のリスクが高まる。チームは自分の身体のことを考えて決めてくれました。」
最終戦が終わり地元に帰ってから病院で診断。その時に骨折していることがわかった。「そりゃぁ痛いわけだわ(笑)」「でも(現地で)骨折していることを知らなくて良かった。知ったら思い切りが少し弱くなっていたかもしれない」と中須賀。
走り方を変える
そもそも何故木曜日に転倒したのか。そこには中須賀の新たな試みがあった。
「走り方を変える」こと、それを実践していた。
岡本裕生がチームメイトに加わってから「裕生の走りを勉強している」と話すことが多くなった。「中須賀が勉強?」意外であった。
「スムーズなコーナリング」。岡本の走りを中須賀はそう呼ぶ。ブレーキングは強くないが、コーナリングスピードを高く保ち、滑らかにトラクションを掛けて立ち上がる。この走り方は結果的にタイムに結びつく。
中須賀は強力なブレーキングを武器に小さく回り、一気に加速する走りで数々の勝利を納めてきた。だが、それでは勝てないと思えてきた。だから岡本の走りを体得しようとしている。
昨年の鈴鹿8耐、MotoGPライダーのジャック・ミラーとWSBKのアンドレア・ロカテッリとペアを組んだ。
彼らは中須賀が開発を進めてきたマシンを少し乗っただけで体得。中須賀が苦手とする区間(セクター)をより速く走ったことに衝撃を受け、彼らの走り方を見て真似た。最終戦でも彼らの走り方をイメージしてリズムを掴んできた。2分5秒1と調子が上がってきた矢先、ヘアピンでハイサイドを喫する。
「まだ完成形ではないけど鈴鹿での走り方は見えてきた気がしました。もう少し、と攻めたところで転倒、欲を出しすぎましたかね。。」
後輩の走りを真似る
「勝ちへの執着」は今に始まったことではないが、「勝つためには何でもする」姿勢がここ数年で目立ってくるようになってきた。あのプライドの高い中須賀が後輩の走りを真似するなど昔では考えられなかった。そこには身体的な衰えもあるだろう。中須賀は今年45歳を迎える。徹底的に身体をいじめて鍛え上げている。だがそれでも以前のように身体が動かないと言う。
だから別のアプローチで勝ちに行く。そこまでしてでも勝ちに行く。それは中須賀のレース哲学でもある。大切なのは目の前の勝利を掴むこと。ひとつひとつの勝利を積み重ねがチャンピオンと言う結果として付いてくる。
45歳の挑戦
「正直、体力的にキツくなって来てるんよ」「それでも44歳のチャンピオンって凄いと思わん?」博多弁で語る時は本音が多い。イヤ、誰が見ても44歳のチャンピオン、しかも13回目、は信じられない快挙だ。
勝利に対して誰よりも貪欲な中須賀克行だからこそ全日本ロードレース最高峰クラス13度目のチャンピオンを獲得できたと言えよう。
現在94勝。今年100勝の期待がかかる。「そりゃぁ、できれば100勝挙げたいですよ。でもそんな簡単ではない。ライバルたちが確実に速く・強くなってきています」「しっかりと準備をして、自分にできる最大限のパフォーマンスを発揮して走るだけです。そこに勝利が付いてくれば言うことありません」
中須賀克行45歳の挑戦をしっかりと目に焼き付けようと思う。
Photo & text : Toshiyuki KOMAI



























