満身創痍のチャンピオン、中須賀選手の強靱な精神力

2013/11/25

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2012年、2013年、2年連続で全日本ロードレースJSB1000クラスチャンピオンに輝いた中須賀克行選手。最終戦鈴鹿MFJグランプリは2レース制、中須賀選手の逆転チャンピオン獲得条件は二つとも勝つこと。そのプレッシャーたるや想像を絶するものであったに違いない。しかし、中須賀選手は見事ダブルウィン、しかも、ポール・トゥ・ウィンをやってのけたのである。

最終戦の前戦・岡山ラウンドでのできごと。金曜日のスポーツ走行を終えた中須賀選手が取材のためにプレスルームにやってきた。その姿はなんと、左肩に三角巾を巻いてアイシングしていたのた。そう、今年の3月、鈴鹿サーキットでの合同テストで左肩脱臼の怪我がまだ完治していないのであった。「克っちゃん、まだ治らないの?」の質問に「やっぱりみんな治ってると思うよね。。肩を休ませる時間が全然取れないのでなかなか治らないんだ・・」

中須賀選手は、全日本ロードレースだけではなく、MotoGPマシンの開発、鈴鹿8耐参戦、と何かしらのテストがほぼ毎週入っていて肩の治療に専念できる時間が取れなかったそうである。昨年11月にはMotoGPマシンテストの最中に左足首骨折の怪我も負っている。今シーズンの開幕戦モテギではまさに満身創痍。まともに走ることなどできない状態であった。しかし、誰もが目を疑う走りでなんと3位表彰台を獲得。

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レーシングライダーに怪我はつきものとはよく言われるが今シーズンの序盤は怪我に苦しむライダーが多かった。加賀山就臣選手は昨年負った脚の怪我で松葉杖がなければ歩けない状態、柳川明選手も事前テストの転倒で腰椎の横突起を4カ所骨折してまともに歩けない、そして中須賀選手。彼らは「怪我人選手権」などとやや自虐的に自らの状況を語っていたが、改めてレーシングライダーの強靱な体力には驚かされる。通常の人間ならマシンに乗ることすら無理であり、ましてやレースなんてとんでもない話であろう。。

中須賀選手は満身創痍ながらもシーズン序盤は順当にポイントを重ねていった。しかし第5戦筑波で痛恨のノーポイントレースとなってしまう。マシントラブルによるものだから仕方ないと言えば仕方ないが、チャンピオンを狙う上でノーポイントレースは戦線離脱を示すと言ってもいいほど悲観的な状況と言える。

しかし、第6戦SUGO以降の中須賀選手の集中力はものすごかった。「SUGO、岡山、鈴鹿、残り4戦(最終戦は2レース制)全部勝つ!」その意気込みになんの迷いもなくひたすらに勝ちにこだわった。そしてSUGO、岡山で勝利を飾った後の中須賀選手の笑顔が非常に印象深かった。高めていた集中力を一気に爆発させ、勝利を勝ち取った達成感、満足感なのだろうか、心から喜ぶ屈託のない笑顔に見えた。

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最終戦鈴鹿はMotoGP日本グランプリから4日後にはMotoGPマシンからJSBマシンへ乗り換えなくてはならない状況だった。全く性格が違うマシン、さらに二つとも勝たなくてはいけない重圧。しかし、完璧なまでにマシンを乗りこなし、しかもコースレコードを更新する驚速タイムでポールポジションを獲得したのである。想像を絶するプレッシャーをはねのけ、見事2年連続でチャンピオンを獲った中須賀選手。その強さの基は最後まで諦めない勝利へのこだわりと強靱な精神力ではないだろうか。

中須賀選手は優勝すると天高く指を突き上げる。亡きお父様への報告だと言う。幼い頃父の薦めでポケバイから二輪レース界に飛び込んだ中須賀選手。中須賀選手がレーシングライダーとなり、チャンピオンになることがお父様の夢だったそうだ。そのお父様への感謝を込めた報告なのだろう。最終戦で天高く指を突き上げた中須賀選手、どんな報告をお父様にしたのだろうか。サイコーのプレゼントにお父様もさぞかし喜んでいるだろう。。

photo & text : koma

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