亀井雄大が大躍進!サラリーマンライダーを育成するHonda 鈴鹿レーシングチーム

2021/06/12

2021シーズン、亀井が速い。

開幕戦もてぎ。予選4番手を獲得。レース1は4位フィニッシュ。レース2では3位表彰台の位置を走っていたが最後にエンジンブロー。第2戦鈴鹿の決勝レース2。自身初の表彰台を獲得。その良い流れのままで迎えた第3戦。事前テストでは1分26秒台に入れた二人のライダーのひとりだった。雨の予選で4番グリッドを獲得。レース1は濃霧でキャンセル。レース2ではトップ中須賀を追いかける2番手を走行。しかしファイナルラップで転倒を喫してしまった。

ブレーキの柔らかさを感じていた亀井はチームにリモートアジャスタを装着するように指示。しかし決勝レースのダミーグリッド上でアジャスタが無いことに気づく。ブレーキレバーがスロットルに当たってしまい8割くらいしかフロントブレーキが効かない状況でファイナルラップまで2位の位置を走る。しかしこのトラブルと“絶対に2位を死守する”と言う意地が転倒に繋がった。

だが亀井はチームを責めることなく「今さらどうにもならないし、どうにかするしかないと考えていました」と達観している。

第3戦終了時点のランキング5位。今シーズンの亀井の躍進は目を見張るものがある。その亀井を追ってみた。

今シーズンの躍進の理由は何なのか

「二つあると思います。ひとつは“強制的に自分でバイクのことを考えるようになったこと”です。今までは“レースで走ることだけ”を考えていましたが、今は車体のセッティングのこと、タイヤの取り回し、各パーツの良し悪しなど、いろいろなことを考えています。そのうちに“自分の乗りたいバイクはこの方向性”ということがわかってきました。バイクの細かい特性を知り得たのは今の位置に就いたからこそだと思います。

二つ目は、今いるメカニック達が成長してきたこと。以前ほどかかりっきりならずに自分で考える時間、速く走るために集中できる時間が増えました。昨年までは整備しているときでも目が離せないくらい信頼していませんでした。」

“強制的に”とはどういうことだろうか。

本田技研鈴鹿製作所のオートバイ部がHonda鈴鹿レーシングチーム

亀井が所属する「Honda鈴鹿レーシングチーム」は全員が本田技研鈴鹿製作所の社員。過去には安田毅史、日浦大治朗、徳留和樹を輩出したプライベーターの名門チームだ。

チームの母体となるのが「オートバイ部」。部員は約30名ほど在籍。就業時間を終えた夕方から部員が集まり作業を行う。”学校の部活動のようなものです”と亀井。部員の所属部署はバラバラ。亀井は四輪自動車の設計図面を扱う管理部門に所属する。就業時間終了も人によって違うので全員揃っての作業が出来ない事もある。

今年亀井はオートバイ部の「部長」に就任した。マシンの整備・セッティング・人員配置・全体スケジュール管理などチームの統括を行う。昨年までは“いちライダー”として走っていたが今年は強制的に全てを見なくてはならない。

「考えることが多くて頭がパンクしそうです (笑)」だそうだ。

極限のところで考え実行している者は他の人より一つも二つも抜き出ている

チームは昨年から一気に若返った。経験者やベテランが多くいれば安定するがチームの今後を考えたら若手を起用して刷新する必要があると判断した。その判断を下したのが元部長の増田雄亮さんだ。増田さんは2004年からチームに在籍するベテランである。昨年まで部長としてチームをとりまとめていたが若手の亀井に部長の大役を任せた。今年からは会計や会社との折衝などチームのマネジメントを司る。

 会社員なので必然的に転勤がある。だからいつまでも同じメンバーが在籍するとは限らない。増田さんが入部した当初の先輩達はほとんどが海外転勤で抜けてしまった。さらに2008年のリーマンショック後にメンバーが一気に減った。すると増田さんの次の世代が亀井たちとなり、ひとまわりもの年齢差が生まれた。だがいつまでも自分たちが仕切っていてはいけない、と亀井に部長を任せた。メカニックたちも新人を起用した。荷が重いだろうとは重々承知の上だ。

「チームを継いでいかなくてはならない。ウチならではの特徴、宿命ですね」

部員は他部署からの引き抜きも多い。極限のところで考え・実行している人たちは、普段の仕事になったら他の人より一つも二つも抜き出ていると言う。

「睡眠時間を削ってまで真剣に考えて走らせて、喜んだり悔しかったり泣いたり、仕事でそこまで追い込んでやれることはない。そういうことを経験・知っている人たちは強いし、今の社会に必ず必要な人間になると思っています。若くても未熟でも、挑戦してもらうことが大切だと思います。」

Honda鈴鹿レーシングチームスタッフ紹介

チーフメカニックを務める中山涼さんは入社2年目だ。オートバイの開発がやりたくてホンダ入社。配属先の鈴鹿製作所でオートバイ部の存在を知り門を叩いた。入部して丸一年目でチーフメカニックに抜擢。とにかくよく動く。タイム計測、亀井のコメント取り、車体整備、ガソリン補給、など多岐に渡る業務をこなす。

「レースの世界って外から見ると華やかに見えるかもしれませんが今のボクはキツイことだらけです。毎日めげそうになりながら過ごしてます。ですがここで投げ出したらオートバイの開発に携わるという自分の夢も諦めることになるので歯を食いしばってやっています。ここで身につけた技術や知識を今後に活かしたいです」

もう一人の若手メカニックが浜大雅さん。今は中山さんの下で動きながら知識と技術を習得している。やがては中山さんの位置=チーフメカニックに就けるように日々奮闘している。「CBR250Rの単気筒でレースもやっています。ライダーをやりながらメカもやりつつ何か見つけられたらいいなと現在模索中です。今は全てが新鮮で楽しいことばかりで、その中で技術と自分を高められたら。と思っています」

電気を担当する岡山聡さん。普段は完成車の検査を担当する部署で働いている。鈴鹿に来る前は埼玉県朝霞市の研究所で電気関連の開発を担当していた。2017年に増田元部長に電気部門を手伝ってくれないか、と誘われてチームに参加。「のびのびとやらせてもらっているのでとても楽しいです。」

岡山さんの眼からみたら若い部長の亀井は“まだまだだな”、というところはあるようだが、非常に楽しみなチームだという。

鈴鹿8耐でペアライダーを組む田所準。2017年は亀井と同じ土俵(ST600クラス)で闘うライバルだった。「自分がST600にデビューしたときに雄大くんも、鈴鹿レーシングからステップアップしてデビューしました。そのときはライバルで、ランキングも結構似たようなところを走っていました。その当時から転倒は多かったんですけど、すごく上手に乗っているなって思っていました」

この鈴鹿8耐テストのベストは2分10秒0。トラブルが出た中でのタイムにポジティブに捉えている部分もあるが、9秒台を目標としていたので悔しがる。「人並みのタイムを出せたけど、第1ライダー(亀井)とは約4秒差があります。一緒に走ってめちゃくちゃいろんなところを指摘されました。データロガーをみて次回までにいろいろなところを詰めていきたいです」

もう一人のペアライダー杉山優輝。普段はクルマのダッシュボード廻りの組み立て業務を行っている。チームの中では3基のエンジンをもう一人のエンジニアと共にメンテナンスを行う。鈴鹿サンデーロードレースに参戦しながら自己研鑽を続ける。普段履いているタイヤとの違いに戸惑いながらも順調にタイムを伸ばす。

鈴鹿8耐合同テストでは亀井に引っ張ってもらったり、後ろから見てもらいながら指導を受けていた。「まだまだです。日頃から引っ張ってもらってタイムは出すな。単独で出せ、と言われています。今日のタイムは速い人の後ろで出したもの。但、その後は単独で走り、アベレージをそこに持っていけたので、さらにデータを見ながら、もっと詰めていけたらなと思います。」

亀井は怖い人?

今回亀井に密着して当初のイメージと変わった。ご覧の通りイケメンで一見大人しそうに見えたのだが、めちゃくちゃ負けず嫌いで芯が強い。全日本ロードレースではランキングにはあまり興味はないと言う。「ホンダで一番に優勝すること」を目指している。百戦錬磨のチャンピオン中須賀を相手に厳しい闘いになることはわかっているがその山を越え、大先輩の清成をも打ち負かして「ホンダで最初のウィナー」の称号を得たいと考えている。そのために自らを徹底的に追い込む。マシン造りも若いチームスタッフと共に妥協せずに行っている。

亀井はチームの中ではどんな人なのだろうか。

「凄く厳しいです。ですが、プライベートの話や会社の話をするときはお兄ちゃんみたいな存在です。(杉山)」
「怖い人です。どう転んでも亀井さんの方が詳しいし、僕の知り得ない知識を持っているので、早くそこに追いつきたいです。(中山)」
「厳しい人です。厳しすぎるんじゃないの?って思うときもありますが、やっぱり尊敬できる人です。(浜)」
「最初はライバルでしたが今では頼れる先輩です。車体づくりがすごく上手で細かい部分を感じ取る能力に長けていますね。それもこれもバイクに向かい合う姿勢が常に真摯だからだと思います。自分も見習わなくてはと思います。(田所)」

みな一様に「厳しい」と言う。外から見ているとそこまで厳しいようには見えないのだが。。。
杉山がデータロガーを見ていた。亀井が近寄ってきて「どうしてこうなったと思う?」「そこを解決するにはどうすれば良いと思う?」と質問していた。ただ教えるのではなく考えさせる指導方法。それはすごくためになると杉山は言う。「前のチームにいたときは専門のメカの人がいたので全て教えてもらっていました。でもしばらくすると自分の身になっていつもりが覚えていないことが多かった。僕的にはすごく成長できる環境だなとは思います」

チームとしての活動成果は「人材育成」

全員がサラリーマンとして働きながらレース活動を行う。Honda鈴鹿レーシングチームとしての活動は「人材育成」でもある。ここで得た経験がその後の人生に繋がる。だが「レースが目的化してはいけないと思っています。レースの過程で自分がどう成長できるかが大切。あくまでレースはきっかけだと思っています」と元部長の増田さんは言う。チャレンジャーなので失敗を恐れてはいけない。若い子たちがいろいろ考えたり失敗する体験の中で育む知識や技術・人間関係が自分の糧となりその後の社会人人生で必ず活きてくる。

「今の彼らはわからないかもしれませんが10年くらい経ったらわかると思います。」増田さんの言葉が印象的であった。

Photo & text : Toshiyuki KOMAI