Mishina’s Eye Vol.4

前回、80年代の鈴鹿サーキットでの放送について書きましたが、今回はその補足を。だって、ノブちゃん(青木宣篤さん)が「みし奈さん、あれ面白いねぇ・・・」っていってくれたので気を良くして・・・

なんでもそうだと思いますが、場内放送も、しゃべり手ひとりだけで出来ません。優秀なスタッフが必要です。

どんなスタッフが必要かというと、まず音響担当です。ゲストを含め、同時にしゃべる人数分のマイクを準備し、しゃべりや音楽などの音のレベルをミキサーでコントロールします。80年代初期はBGMとしてサーキットにあるLPレコードを流していました。A面が終わるとB面に返さなくてはなりません。音を聴きながら、レコードをひっくり返す。この作業を繰り返します。当然、サーキット施設のPA機器にも精通していないと臨機応変に対応できませんので、施設から依頼を受けた外部の方がやっていました。まぁレコードをひっくり返すくらいは他のスタッフもやってましたが、ついつい忘れてしまい、スピーカーから「ボツッ・・・ボツッ・・・」って聞こえることも・・・。スタッフ全員がそれを忘れるほどレースが白熱していたってことでご勘弁を。その後レコードも使いましたがカセットテープへと音楽ソースは代わっていきました。

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「テール・トゥ・ノーズの激しいトップ争いがが西コースで行われています! さぁどちらが先に東コース、シケインへ戻って・・・さてぇ? 1台転倒という情報が入ってきました! まだゼッケンの確認は出来ませんが転倒があったようです。」

(※えっ? どこ? 何番?)←マイクのスイッチを切ってポスト連絡をモニタしていたスタッフに聞いてます。

「トップ争いをしていたゼッケン○番の×××がスプーンカーブ立ち上がりで転倒!!!!!」

のように、しゃべっているとモニタできないのでスタッフが随時聞いていて、メモしてくれます。

それから、計時のリアルタイムモニターのない時代。いちいち周回数を指折り数えているわけにもいかず、各周の全順位をしゃべりながら頭の中に入れておくこともできませんので、放送席の目の前を通過するマシンのゼッケン番号を、周回ごとに通過順に目視で、書いていくスタッフがいます。我々はそれを「連番」といってますが、ラップチャートです。バラバラに一台ずつ通過してくれれば楽なのですが、そうも言ってられません。スタートしてしばらくは数台が団子状態で通過することもしばしば。自然と動体視力が磨かれます。
スタッフも慣れてくると、5台ごとに線を引いたり、接近してるところは下線を引いたり、間隔のあいているところは離して書いたり、横線を引っ張ったり、ストップウォッチで計ったギャップを書き加えたりと、しゃべり手がちらっと見た瞬間に理解できるように工夫してくれます。最初は通過するゼッケン番号を書くことすら出来なかったスタッフも、数字の羅列状態から、聞かなくても見るだけで解る情報満載の連番を作れるようになります。しゃべり手にはそういう情報が必要なんです。それを理解し考えてくれるスタッフでないとダメなんです。私は左目で双眼鏡を覗き、右目で手元の資料を見たり、スタッフの記録した連番に目をやったり、ピットサインを見たり、ストップウォッチ押したり・・・、大忙し。でもスタッフが阿吽の呼吸で先回りしていろいろな情報をくれるようになるので、優秀なスタッフがいると忙しさの中にも余裕が出てレースを笑顔で実況できるんです。

《連番を取る》という作業は、計時オフィシャルが専門です。毎回数名がコントロールラインを通過する順番に、目視でゼッケン番号を紙に書いていきます。決勝レースはトップが通過するたびに新しい紙に換え、それを他の計時オフィシャルが集めて、照合して通過順を特定していきます。ですから正式なものが発表されるまでには時間が必要です。今はどうか知りませんが、サーキットによっては計時オフィシャルの連番は、「縦取り」、「横取り」とありました。大体コントロールラインは直線部分にあり、ハイスピードで走り抜けていきます。そのゼッケン番号を紙に書きなぐっていくわけですから、視線を紙に落とすことはできず、コース上を見たまま手を動かしています。「横取り」の欠点は、腕を左右に動かしていき、書いた数字が繋がってしまい、どこが番号の切れ目か解らない場合があります。また「縦取り」は番号の切れ目はわかりますが、前後に腕を動かさなければならないので、左右に動かすだけのときよりもわずかに時間がかかります。鈴鹿の計時オフィシャルは「横取り」でしたね。それにしても計時オフィシャルの動体視力はスゴイと感じました。125ccの小さなマシンに貼られたゼッケンを読み取っていくんですから。

実況放送では正式な計時オフィシャルの発表を待っていられないので独自に連番(ラップチャート)が必要なんです。そして1周目から最終周まで1枚の紙に書かれていないと、レースの流れを把握できません。スプリントレースの場合は10周〜20周くらいですからOKなんですが、耐久の場合スタッフは大変です。バックマーカーが沢山出てきますので、準備した連番用紙の該当周回を探して、あっち行ったりこっち行ったりしながらリアルタイムに書き込んでいきます。私も駆け出しのころ全部やりましたが、耐久はしゃべる方がどれだけ楽か身を持って体験しています。良いスタッフがいて初めてよりよい実況ができるのです。

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鈴鹿でF1が再開された1987年。ヘンリー祝さんが鈴鹿の実況に加わりました。彼は自分で選曲してしゃべる、いわゆるDJスタイル。大きなジュラルミンのケースにカセットテープが100本以上。ヘッドセットマイク持参でやってきました。彼はサーフィンの世界選手権を回っていた元プロサーファーで、当時はスポーツDJとして活動していました。カセットデッキを2台か3台をミキサーにつないで、1台のデッキから曲を流し、同時進行で残りのデッキで選曲&頭だしを行っていました。CDが普及する以前の話ですね。今では携帯音楽プレーヤーや軽量なノートPCがあるので曲だしも一発ですよね。切れ目なく音楽を流しながら日本語&英語でしゃべるヘンリーさん。最初はモータースポーツのことを何も知りませんでしたが、とにかく選曲が秀逸で、レースの雰囲気作りは最高でした。それまでのレース実況に新しい風をもたらしてくれたと思います。と同時に放送席からレコード盤が消えました。それとスタッフが音楽の途切れることに意識を向ける必要がなくなったことは大きな進歩でした。レースのスタート前はこんな感じの音楽にしてほしいとか、レース中、白熱しそうになったら、こんな感じの曲、レースが坦々としてきたらこんな感じの曲とかいろいろお願いしました。その中で、スタート前の緊張を高めてくれるのに最適だと感じたのが、鐘の音から始まってゆっくりと音楽がフェードインしてくる、ジェリー・グッドマンの「オン・ザ・フューチャー・オブ・アビエーション」という曲です。あとは8耐の夕暮れ時に好んで流してもらった、マンハッタントランスファーの「トワイライトゾーン」でしたね。太陽が西に傾き、ゆっくりと鈴鹿の山並みに隠れていき、暗闇がすぐそこまで迫ってきた時間帯。この曲を聴くと、ヘンリーさんの「鈴鹿には魔物が潜んでいる」という言葉とともに、その餌食となり悔し涙をながしたライダーを想像してしまいます。どんなに沢山の言葉を並べるよりも、その時の空気を表す音楽って重要だと思いました。言葉を音楽が補ってくれます。場内放送を聴く人のイマジネーションはかなり刺激されたのではないでしょうか。

私にとってヘンリーさんが加わったこと、そして優秀な人材となってくれたスタッフに囲まれて成長できた80年代後半です。本当に良いスタッフにめぐり合えたなぁ・・・。個々の力も必要だけど、それ以上に高いチーム力あってこその賜物だと思います。

今回もつらつらと書いてしまいました。まぁ、懲りずに次回も是非お付き合いください。

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