Mishina’s Eye Vol.12-1

1984_Australia 11-29_(オーランパーク・クラブハウス)11月26日月曜日。開幕の地メルボルン郊外コルダーフリーウェイ沿いのコルダーパークから第2戦の地シドニー南西45kmに位置するオーランパークへ約700kmの移動が始まった。モリワキトラックは二橋メカと雑賀メカが交代で運転する。レンタカーの乗用車はポールさん運転で森脇さんと八代選手、宮城選手も乗る。TV取材クルーはワンボックスカーと3台が連なって走る。私やスギさんはトラックや乗用車、ライダーもそうだが入れ替わりながら乗せてもらった。

1984_Australia 11-26_(いったい何?)

メルボルンから31号線は最初北へ向かう。セイモアという町あたりから道は北東に向かっていく。天気も良く誰もが大陸ドライブを満喫していたはず。トラックドライバーは雑賀メカ。ワンガレッタという町をを抜け、ビクトリア州とニューサウスウェルズ州の州境が近づいてきたころ、サイレンとともにトラックは停車を求められた。そんなにスピードは出ていないはず。私は森脇さんとともに乗用車に乗っていた。何で止められるのだろう・・・不思議だった。雑賀メカはトラックを路肩に止め、当然ほかの2台も何事かと止まる。パトカーから警察官二人が降りてきて、雑賀メカに免許証の提示を求め何か話している。どうやら、彼らの読めない日本のナンバープレートだし、トラックだし、一度止めてチェックしようかということだったらしい。積み荷はレース機材だとわかると、ほかにフルーツなどは州を越えて持ち出せないから処分するようにと注意された。捨てるには忍びないので、その場で全員で積んであったフルーツをむしゃむしゃと食べることになった。道を通る人たちは10人近くの外国人が路肩に車を止めて袋いっぱいの食べ物を黙々と食べている光景をどんなふうに見たのだろうか。途中の町で昼食を食べ、またひたすらドライブ。そんなこんなで10時間くらいだったろうか、午後8時ごろに第2の宿泊地に到着した。

1984_Australia 11-26_(フルーツ処理中)

11月27日火曜日。さすがに全員疲れていたようで近所の散歩くらいしかしていない。近くにカンガルーを飼っている家があるというのを森脇さんがどこで聞きつけ、明日見に行こうとなった。

1984_Australia 11-28_(つりだぁ)

11月28日水曜日。この日は早朝から森脇さんが張切っている。昨日までの疲れた顔はどこへやら・・・。そう楽しみにしていた釣りに出かける、それも遊漁船をチャーターして。私も嫌いじゃないので、そそくさとついて船に乗り込んだ。比較的波は穏やかな方だったのだろうが港を離れて暫くした頃、少し寝不足だった私は船室で横になって目を閉じていた。さぁ着いたよって声で起きだして餌をつけて竿を出したが、大きく船が揺れるのに耐えきれず、再び船室の人となってしまった。いつの間にか船は動きだし、「あそこに、ペンギンがいる」とか「あれ鯨かなぁ・・・」なんて会話が遠くから聞こえるが見に行くことができない。そのうちに船は港に戻ってきた。桟橋に上がってもまだ揺れている。「地球は回っているんだから大丈夫」と自分に言い聞かせながら宿舎へ戻った。釣果は森脇さんが期待したほどではなかったようだが、昼食はその魚を調理して食べたようだ。私は昼食なんて食べる気力がなかったが、少し休憩して揺れは収まった。午後3時ごろ森脇さんとカンガルーを飼っている家を見に出かけた。500坪くらいはありそうな大きな庭にカンガルーがたくさんいる。おまけにダチョウのように飛べない鳥も飼っていた。エミューという鳥で、大きなエサを丸呑みしたものが喉を通るとき、まるでマンガ、食べたものの形がわかるように長い首の途中がぷっくらと膨らむ。後に森脇さんが、エキパイの後部、サイレンサーの前にボール状のふくらみを持たせたマフラーを作った時「まるでエミューやな」といってエミュー・フォーサイトって商品名になったとか。

つづく

1984_Australia 11-28_(エミュー個人宅の)

1984_Australia 11-26_(ホンダブリテンのバリー・シモンズ監督と森脇護)

1984_Australia 11-28_(釣り後の森脇さんの昼食)

1984_Australia 11-29_(バルボリンS・宮城)