adfronte のすべての投稿

全日本ロードレースのゼッケン制度変更

みなさん既にご存知のことと思うが2021年シーズンからゼッケン番号制度が変わった。

昨年までは各ライダーが自分の希望するゼッケンを登録できたが今シーズンからは前年度のランキング順のゼッケン指定となる。ランキング1位から10位までは「赤地に白文字のナンバープレートカラー」、いわゆる「赤ゼッケン」である。11位以降は「各クラス指定されたナンバープレートカラー」。

昨年12月、MFJからゼッケン番号制度変更に関するリリースが出された。ライダー、チームはすぐに反応した。全日本ロードレースの選手会が中心となってアンケート調査を急遽実施。ARTの掲示板に各自の意見を掲載することになった。結果は79%が反対、21%が賛成(どちらでも無い、無回答、は反対を表明していないので賛成としてカウント)だった。ファンの間にも動揺が広がり、一時「#希望ゼッケン廃止に反対します」というハッシュタグをつけてSNSで話題となった。

ライダーの主な反対理由は以下の通り。

「ゼッケンナンバーにはチームやライダーの想いが詰まっている」
「パーソナルゼッケンはライダーやチームにゆかりのあるナンバーを記していて“顔”である」
「パーソナルナンバーを敢えて使ったファン誘致、ビジネス化が世界で当たり前になっている」
「ゼッケンがチームやライダーがセルフプロモーションできる場所」
「既存のファンにとってわかりにくくなる」

パーソナルナンバーの先駆けは、バリー・シーンだとされている。1976年、1977年と500ccタイトルを獲得して “1”をつける権利を得たが、ゼッケン「7」をつけた。

パーソナルナンバーは今やアイコンとなっている。46=バレンティーノ・ロッシ、93=マルク・マルケス、34=ケビン・シュワンツなど。。全日本ロードレースでも、加賀山就臣=「71」、中須賀克行=「21」、関口太郎=「44」、柳川明=「87」などゼッケン番号ですぐにライダーの顔が思い浮かぶほどゼッケンとライダーの関係は親密だ。

MFJは希望ゼッケン制度廃止の理由を「オートバイのレースを知らない新規ファン獲得の一助に、スポーツとして、誰が速いライダーなのかをわかりやすく訴求し、主役であるライダーにスポットが当たるように、メディアとWEB放送を中心にSNS連携を含めて発信強化を図る」としている。今回の意図を聞いてみた。

MFJは現状の全日本ロードレースに非常に強い危機感を覚えている。打開策のひとつが既存ファンに“新規ファン”を加えた観客動員数の増員。

興味を持ってくれる人を増やすために何をすれば良いのか。「シンプルにわかりやすく」が必要と考えた。勉強しなくてはわからないこととは極力無くす。

野球、サッカー、ラグビーのファンは全員専門書を読む人たちか、と問えば違う。にわかファンが多くいる。バイクレースでも「にわかバイクレースファン」を作らなければこの業界は衰退の一途を辿る、と言う。

にわかラグビーファンの中で、東芝府中の選手のことを知らない人は多いだろう。「日本代表チーム」だから覚えるし応援する。そしてファンのほとんどは「選手と言う個人」を応援する。その時に必要な要素は「名前」「顔」「スキル」。ラグビーでは日本代表チームに特化した番組を長い期間放映し、顔・名前・スキルを明らかにしたことでファンが増えた。

「スキル」を現すひとつの手段として前年度ランキングのゼッケン制度を取り入れた。番号の若いライダーは前年度ランキング上位=速いライダー、とわかりやすくする。ゼッケンの若い人たちの先頭集団に大きいゼッケンのライダーが混じっていたら「誰だ?このライダーは?」と興味を引く。そこからライダーへの興味関心が始まっても良い。

F1、MotoGPは放映でライダーの顔を十分すぎるくらい放映している。さらにマルク・マルケスやバレンティーノ・ロッシなどMotoGPライダーのSNSは走行シーンの写真より自分の顔を前面に出している投稿が多い。つまり顔を売っている。全日本ロードレースはライダーの顔が写る時間は少ない。名前と顔の認識ができない、スキルレベルもわからない、では新しい人には伝わらない。

今年から「Grooview」というサーキット場内映像配信アプリを始めた。マルチチャンネルで場内実況放送、タイミングモニター、ピットポート、などを配信する。ライダーインタビューやピットレポートなどでライダーを多く露出させて顔と名前を一致させる施策を導入している。

以上がMFJに取材した際に聞いた内容である。鈴木哲夫MFJ会長は言わずとしれた元・株式会社ホンダ・レーシング(HRC)の社長で歯に衣着せない語りは多くの人の心を掴んでいる。

MFJは各ステークホルダーが集まった合議制の場所・事務局。レギュレーション発行責任があるのでゼッケン制度について発表をしたが、MFJ単独で決めたわけではない。バイク4メーカー、公認サーキット、各地区のロードレース委員会、外部の学識経験者から成る会議で多数決により決定した。但、事前にエントラントへの通達なしに発表したことに対しては「進め方に配慮が足りなかったのは事実」と認めている。

日本ロードレースの現状に危機感を覚え、そのために改革を行う。この考えに異論を唱えるチーム・ライダー・ファンはいないだろう。但、MFJの考えの真意がエントラントやライダーにキチンと伝わっていないのではないか、と思う。紙切れ1枚の発表ではなく、もっとお互いにコミュニケーションを取ること誤解を生まないことに繋がるのではないだろうか。

賛否両論ある希望ゼッケン廃止だが今シーズンはこれでスタートした。既存ファンからすると不満を抱くかもしれない。だが新しく観に来た方がレースファンになってくれることを期待したい。

※鈴木会長から「ぜひお客さんの意見も聞いて下さい」と言われたのだが、開幕戦、第2戦鈴鹿、共に観客席における取材禁止であったためお客様の声を聞くことはできなかった。

そこでRacing Heroesをご覧のみなさまに「ゼッケン制度」についてご意見がありましたらお伺いしたいと思います。ご意見のある方は「info@racingheroes.jp」までお寄せ下さい。

photo & text : Toshiyuki KOMAI

 

中須賀克行、野左根航汰へのエール

中須賀克行、野左根航汰へのエール

2020年、圧倒的な速さに強さを纏ってシリーズチャンピオンを獲得した野左根航汰。今シーズンはワールドスーパーバイク選手権(WSBK)にフル参戦する。
「全日本ロードレースでチャンピオンを獲得して世界へ」全日本を走るライダーなら誰もが目指す道を野左根は体現した。

野左根の世界への挑戦を自分のことのように喜ぶオトコがいる。中須賀克行、野左根のチームメイトであり、ずっと目標にしてきた絶対王者だ。

2017年に野左根がファクトリーチームに加入してからずっとその成長を見守ってきた。中須賀は懇切丁寧に教えるタイプではない。かといって自分のやり方を隠すこともしない。闘い方、トレーニング、レースに対する考え方、とりわけ“勝利のへの執着心”、それら全てを包み隠さず全てをさらけ出してきた。「盗める物はドンドン盗め」というタイプだ。
「俺を越えていけ。でなければその先は無いぞ」常に語りかけてきた言葉。

その中須賀に野左根のWSBK挑戦について聞いてみた。

「自分を目標にしてきてくれたなら嬉しい。常に上を目指して、自分で努力した結果、速くなったし強くなった。自分を土台にして越えていく、そして世界への挑戦のチャンスを掴んだことが嬉しい。チャンスが巡ってきたときにそのポジションにいたことは航汰自身のチカラだと思う。この挑戦を糧に活躍して欲しい。」
と満面の笑みである。

後輩が世界に行くことは悔しくないのだろうか?

「もちろんひとりのライダーとしては(野左根は)ライバルだし、悔しい。自分はWSBKへの挑戦のチャンスが巡って来なかった。だけどずっと国内でトップを張ってこられた。もしも途中で世界へ行っていたらこの記録は生まれなかった。自分の置かれた環境の中で努力した結果が今の自分だと思っているので誇りに思っている。」

中須賀らしい言葉だ。絶対王者としての誇り。しかしそのためにどれだけの努力をしてきたか。今いるポジショニングよりもその過程に誇りを持っている。

2020年、滅多に褒めない中須賀が野左根の強さを認めた。中須賀を脅かすほどの強さを備えた野左根。そこには中須賀の存在が多分に影響していると思う。

「バイクに対する考え方、レースへの向き合い方、勝つためにナニが必要なのか、を考える姿勢が前向きになったと感じる。自分はそうやって今のポジションを勝ち取ってきた。航汰が考えた方法で努力してきたからこそ今の速さがあると思う。自分と一緒の時間を過ごした結果のカタチとして今の航汰がいるなら嬉しい。」

最後に野左根に贈る言葉を聞いてみた。

「常にチャレンジャーとしてプッシュし続けて活躍して欲しい。可能性は無限大。WSBKからMotoGPへ行くのもありだし、WSBKでチャンピオンを獲るのもあり。
国内から世界へ出る事例が少ない中、久しぶりに明るい話題だと思う。航汰自身が世界への道を模索している中で掴んだチャンス。漠然と行きたいなぁ、、だけで掴めるものではない。それだけ航汰が努力したという証。強くなった航汰を気持ち良く送り出したい。」

「中須賀さんを越えなければ世界には行かない」と決めていた野左根。自らが課した厳しい課題を克服してWSBKに挑戦する野左根。容易く通用する世界ではないが自信を持って暴れて欲しい。

photo & text : Toshiyuki KOMAI

野左根航汰直筆サイン入りキャッププレゼント!

野左根航汰直筆サイン入りキャッププレゼント!

2020年、圧倒的な強さと速さを身につけてJSB1000クラスシリーズチャンピオンを獲得した野左根航汰の直筆サイン入りキャップを2名の方にプレゼントします。

応募方法は、Racing Heroes「info@racingheroes.jp」宛にメールを送って下さい。ご応募の際は本名ではなくハンドルネームやペンネームの匿名でも構いません。抽選で当選した方2名に事務局から当選通知メールを送ります。そのメールに賞品の送付先を記入して返信して下さい。

応募先
info@racingheroes.jp

応募締切
2021年2月5日(金)23:59

当選発表
賞品の発送をもってかえさせていただきます。

※個人情報取り扱いについて
Racing Heroesでは、お預かりした個人情報について、以下のとおり適正かつ安全に管理・運用することに努めます。
1.利用目的
今回のチャンピオンキャッププレゼントで収集した個人情報について、以下の目的のために利用いたします。
①賞品発送のため
2.第三者提供
当社は、以下の場合を除いて、個人データを第三者へ提供することはしません。
①法令に基づく場合
②人の生命・身体・財産を保護するために必要で、本人から同意を得ることが難しい場合
③公衆衛生の向上・児童の健全な育成のために必要で、本人から同意を得ることが難しい場合
④国の機関や地方公共団体、その委託者などによる法令事務の遂行にあたって協力する必要があり、かつ本人の同意を得ることで事務遂行に影響が生じる可能性がある場合

Snapshot⑭-秋吉耕佑、2011年全日本ロードレース2連覇達成!-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。Racing Heroesでは過去に撮影した写真の中から独断と偏見でセレクト、その時のエピソードと共にランダムに掲載していきます。

2011年全日本ロードレース最終戦鈴鹿。秋吉耕佑は2連勝を飾り、2年連続のJSB1000クラスチャンピオンを獲得した。しかもこの年は8戦中6勝、残り2戦は2位、つまり表彰台率100%の圧倒的強さを魅せて王者獲得である。

開幕戦鈴鹿、路面温度は46度まで上昇。独走していた秋吉だが、路面温度上昇によりタイヤがタレてくる。途中からタイヤ温存に切り替える。終盤、中須賀が迫ってくるとラスト3周でスパート。そのまま秋吉がトップチェッカー。

第4戦SUGO。金・土ウェットで決勝日は快晴。ドライセットが決まらない状態でレース。スタートダッシュを決めて逃げにかかる常套パターンかと思いきや、終盤に高橋巧が追いついてくる。テール・トゥ・ノーズのバトルは最終ラップまで続き、最後のシケインでバックマーカーが両者の間に入り秋吉が優勝。これで開幕4連勝を飾った。ゴール後、高橋の成長を称えるかのように秋吉から高橋に握手を求めた。

ランキングトップで迎えた最終戦鈴鹿。レース1。直前の雨でスタートディレイ。オープニングラップのヘアピンで加賀山をかわしてトップに立つと後続を引き離してそのまま独走でトップチェッカー。高橋巧が5位に沈んだのでレース1でチャンピオンを決めた。

レース2。オープニングラップの2輪シケイン立ち上がり、スプーン進入の200Rで加賀山をかわしてトップに立つと、レース1同様後続を引き離してひとり旅でダブルウィン。圧倒的速さで2年連続のチャンピオンを決めた。

秋吉の走りは鋭い。豪快にリアタイヤをスライドさせたブレーキングの突っ込み。くるっと向きを変えると圧倒的な立ち上がり加速で消えていく。また、雨の秋吉は手が付けられないほど速い。最終戦鈴鹿のレース2では、他のライダーが2分19秒後半から20秒台のラップなのに秋吉だけ2分18秒253のファステストラップ。2位以下に15秒以上の大差を付けて優勝している。

秋吉は『宇宙人』のニックネームで呼ばれている。「ここで抜く?!」というところでパッシングする、他人には理解が難しいコメントをする、などが理由だそうだ。本人は「なんで宇宙人なのかわからないのですが。。(笑)」と意に介さない。随分と昔、まだスマホが出てくる前の時代、フィリップアイランドのMotoGPテストで食事を一緒にする機会があった。そこで何故か携帯の話題となり『携帯を買ったら取扱説明書は最初から最後まで全ページ読み込みます。だって使っていない機能があったら勿体ないじゃないですか』。一同唖然。あの分厚い説明書を最初から最後まで?

でもわかるような気がする。秋吉はデータロガーの画面を観ながらメカニックと長時間打合せをする。データをみればどんな動きをしているのかわかる。しかしメカニックはコース上でのマシンの挙動がわからない。だから共有して自分の望む方向性にするにはどうしたら良いのか、を納得がいくまで話し合う。アタマの中で理解できる理論性とカラダで体現できる優れた直感力、相反する二つの高い能力を兼ね備えているのが秋吉耕佑だろう。今シーズンは自らのチームを立ち上げて臨む。どんな走りをするのかとても楽しみである。

photo & text : Toshiyuki KOMAI

Snapshot⑬-2014年アジアロードオートポリス:玉田誠優勝!-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。

Racing Heroesでは過去に撮影した写真の中から独断と偏見でセレクト、その時のエピソードと共にランダムに掲載していきます。

2014年アジアロードレース第3戦オートポリス、巧みなレース戦略を取った玉田誠が優勝した。全身で喜びを表す玉田。

2013年からアジアロードレース選手権にフル参戦を開始。第3戦インド大会でいきなりダブルウィン!しかし鈴鹿8耐の予選で転倒、左鎖骨、左肩甲骨、左脚関節(足首)を骨折、左手中指の切断の大怪我を負ってしまう。初年度はランキング8位で終える。

2014シーズンの日本ラウンド。オートポリスは特有の雨と霧に包まれる。フリー走行はウェット、予選で初めてドライとなる。玉田は世界選手権で戦っていたのでドライでのオートポリス走行経験が少ない。初のドライに戸惑いながらも予選5位を獲得する。

決勝日の朝フリーはウェット。しかし決勝レース1はドライ。ドライへのアジャストが上手く決まらず10位フィニッシュ。

迎えたレース2。レース1からセットを変えて臨む。序盤は小山知良、藤原克昭に続く3番手で走行。晴天で路面温度が上がり、タイヤマネジメントに苦慮すると判断した玉田はタイヤを温存のために後方から様子を伺う。トップ2台が先頭争いを繰り広げる隙を突き一気にトップへ浮上。そのまま優勝を飾る。

2015年からはアジアのライダー育成のためにコーチに就任、2017年からは監督に就任する。2018年からは「Honda Asia-Dream Racing」の監督としてアジアロード、全日本ロード、鈴鹿8耐、と多忙な日々を送っている。

玉田の指導方法は厳しい。世界で闘ってきた玉田の目からするとライダーやチームスタッフに甘さを感じるとのこと。逆に玉田が褒める時は本当に良くやったときだ。レースはもちろんだが生活態度でも律する。挨拶に始まり、感謝、謝罪、人としての礼儀を教え込む。全員アジア人のチームをまとめるのは並々ならぬ苦労があるはずだが、あの屈託の無い笑顔で「全然へっちゃらです!」と言う。チームが礼儀正しく気持ち良いのは玉田の教えがあったからこそだろう。

Photo & text : Toshiyuki KOMAI

Snapshot⑫-素肌にレーシングスーツ:藤原克昭-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。

Racing Heroesでは過去に撮影した写真の中から独断と偏見でセレクト、その時のエピソードと共にランダムに掲載していきます。

褐色の肌と鋼のボディ、その肉体に直接レーシングスーツを羽織る。藤原克昭のトレードマークだ。

そのいでたちでパドックにいるものだからいつも目立つ。そして藤原の周りには常に人が集まる。レース関係者はもちろん、プレス、ファンの人たち、友だち。。藤原は“人”を大切にする。人との繋がりを大事にする。信頼関係があって初めてレースが成立する。だからチームメイトを、チームスタッフを信頼し大切にする。

藤原ほどのエンターティナーはいないだろう。日の丸をマントに表彰台に立つ。コースサイドにカメラマンを見つけるとピースサインを送る。スターティンググリッドでハンドルバーに足をかける、などとにかく派手だ(笑)。

「俺って天才!」「次のレースも勝っちゃうよ!」は藤原の常套句。しかし、結果を出さなければ単なる大口叩きである。だから勝つために人一倍の努力をする。徹底的に自らを追い込む。でもそんな努力をしているところを他人には見せない。一見するとちゃらんぽらんのようだが実は速い。ファンサービスも、レースも、全てにおいてプロフェッショナル。それが藤原の美学。

藤原は現在Kawasaki Motors Enterprises (Thailand) Co., Ltd.のマーケティン部長として『Kawasaki』ブランドに対する共感や信頼醸成を通じて顧客にとっての価値を高めていくブランディングを担当している。もちろん『Kawasaki Thailand Racing team』の責任者としてレース活動も行う。マーケティング業務はもちろん会社員も初めて。コロナ禍の中タイで経済について、マーケティングについて黙々と勉強している。『人が驚くようなこと、喜ぶようなことを仕掛けたい』と言う。レースで培った分析による緻密な戦略立案、とっさの判断力、そして派手なパフォーマンス。それらは今後の藤原の業務に大いに役立つはずである。

Photo & text : Toshiyuki KOMAI

 

Snapshot⑪-2017年鈴鹿8耐合同テスト:佇む水野涼-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。

Racing Heroesでは過去に撮影した写真の中から独断と偏見でセレクト、その時のエピソードと共にランダムに掲載していきます。

2017年鈴鹿8耐合同テストの夕方、水野涼が佇んでいた。ハルクプロに所属するがこの年は桜井ホンダから参戦した。2015年にJ-GP3クラスチャンピオンを獲得。翌2016年にJ-GP2クラスへステップアップ。2017年もJ-GP2参戦、開幕3連勝と絶好調。しかし走行時間が少ない。自分の走行時間を増やすことと経験の為に鈴鹿8耐に参戦した。1,000ccでも行ける、と自信を持って挑んだがトップとの実力差と自分の非力さに苛立ちと悔しい気持ちだけが残ったテストだった。それでも決勝レースでは10位入賞を果たす。

鈴鹿8耐で貴重な経験を積んだ2017年は圧倒的な強さでJ-GP2クラスのチャンピオンを獲得。翌2018年に最高峰クラスへステップアップ。再び鈴鹿8耐にハルクプロから参戦する。ランディ・ドゥ・プニエ、ドミニク・エガーターがチームメイト。まだJSB1000マシンを乗りこなすまでには至らずタイムではこの二人に追いつけない。決勝レースではハーフウェットの中で転倒、左手首骨折のケガを負ってリタイアとなってしまう。

2019年、水野は飛躍的に伸びた。納得のいかない2018シーズン終了後、1,000ccマシンを操れるだけの体力をつけるべく肉体改造に乗り出す。考え方も変えた。『速く走らなくては、との思いから最初から最後まで100%全力で臨むと力んでしまい終盤に腕上がりを起こすことも多かった』。だから『緩急をつけた走り。80%〜90%の力で100%の力と同じタイムを出す事を考えながら走る』ことにした。もちろんすぐに効果が現れるわけではない。2019年前半戦終了辺りから効果が出だす。

鈴鹿8耐からワークスマシンを貸与された。これを機に歯車が回り出す。鈴鹿8耐は不運なペナルティで最後尾スタート。だが初めて3スティントを走行し、7位でフィニッシュ。

後半戦のもてぎで2位、初表彰台を獲得する。しかも、中須賀克行、高橋巧といった王者を前に真っ向勝負の先頭争いを演じる。続く岡山でも2位。しかし『絶対に負けたくない』野左根航汰の後塵を拝し悔しさを滲ます。最終戦鈴鹿でも3位表彰台。2019シーズンはランキング4位に躍進した。野左根航汰と言うライバルの存在とエースライダーという自覚が水野を覚醒させた。(参照:「苦しみ抜いた末に見出した活路。今年の水野涼は速い」)

Photo & text : Toshiyuki KOMAI

Snapshot⑩-加賀山就臣:涙のTeam KAGAYAMA初優勝2012年SUGOラウンド-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。

Racing Heroesでは過去に撮影した写真の中から独断と偏見でセレクト、その時のエピソードと共にランダムに掲載していきます。

2012年全日本ロードレース第6戦SUGO。ゴール後に涙する加賀山就臣がいた。

日本人として初めてBSB(ブリティッシュスーパーバイク選手権)にフル参戦、2005年からはWSBK(ワールドスーパーバイク選手権)とずっと世界の舞台で闘っていた加賀山が「日本への恩返し、全日本を盛り上げたい」と自らのチーム『Team KAGAYAMA』を立ち上げたのが前年の2011年。初年度はランキング4位。

2012 年、体制をガラリと変えた。一番大きな変革はダンロップタイヤにスイッチしたことだろう。BSBではダンロップを履いていた加賀山。ヨシムラから参戦した鈴鹿8耐ではブリヂストンを履いていたが元々ダンロップとの付き合いが長い。しかし全日本ロードレースではブリヂストンが2010年、11年とチャンピオンを獲得しており、2012年も上位10チームのほとんどがブリヂストンであった。

そんな逆境の中で加賀山はダンロップのタイヤ開発を担いながら闘う。予選ではコースレコード(中須賀克行)からコンマ3秒差の2番グリッドを獲得する。決勝レース。タイヤ温存の戦略を取りながらも先行するブリヂストン勢をいつでも追撃できる位置で走行、これが功を奏する。レース中盤、タイヤがキツくなってきたトップ勢に対し加賀山はペースアップ。終盤の中須賀との一騎打ちを制してTeam KAGAYAMAとしてJSB1000クラス初優勝を飾る。この勝利でシリーズランキングも2番手に浮上した。

常にチーム、スタッフ、スポンサー、そして全日本ロードレースのことを考えている加賀山。みんながアッと驚くサプライズを数多く仕掛けてきた。加賀山の懐の深さと優しい人柄は多くの人を魅了する。

今年、Team KAGAYAMAは大きな変革を行った。タイヤをブリヂストンにスイッチしたのだ。長年ダンロップタイヤに慣れてきた加賀山がどうやってブリヂストンタイヤを履きこなすか、そこも注目の一つである。

Photo & text : Toshiyuki KOMAI

 

Snapshot⑨-2010年:鈴鹿300km、青木宣篤/酒井大作優勝!-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。

Racing Heroesでは過去に撮影した写真の中から独断と偏見でセレクト、その時のエピソードと共にランダムに掲載していきます。

2010年鈴鹿300km耐久レースでヨシムラの青木宣篤/酒井大作組が優勝した。現在は開催されていないが鈴鹿300kmレースは鈴鹿8耐の前哨戦として重要な位置を占めていた。

2009年、ヨシムラは青木宣篤/酒井大作/徳留和樹のチームで鈴鹿8耐優勝を果たしている。その中で青木は存在感を放った。同年の鈴鹿300kmレースで3位表彰台に立った酒井/徳留ペアは鈴鹿8耐に向けてマシンを詰めていくのだが思うように進まない。MotoGPテストで忙しい青木が合流したのは7月。酒井・徳留の意見の違いを集約、お互いのマッチングポイントを見つけてセットアップに臨むと両者が乗りやすいマシンに改善されていった。その甲斐もあって見事鈴鹿8耐優勝を飾る。

2010年、ヨシムラは世界に闘いの場を定め全日本ロードレースを休止。鈴鹿8耐に向けて重要なレースである鈴鹿300kmに臨む。このレースは天候に翻弄された。降雨でスタートディレイ、レインタイヤでスタートしたものの天候が回復してレインタイヤでは厳しくなる。スタートライダーの酒井は11周目にドライタイヤへチェンジ。ファステストラップの猛チャージで2番手まで順位を上げる。しかしここで再び雨。足元をすくわれるライダーが出現する中、酒井はドライタイヤで走り切る。

ライダーチェンジ。アドバイザーの辻本聡さんは青木に「ドライタイヤで行く」と告げていた。最終的にはコースの状況を一番知っている酒井の判断に委ねることに。酒井は「ドライタイヤ」と答えた。ハーフウェットの中、青木はドライタイヤで出ていく。コースインした青木「大作――!どこがドライタイヤで行ける、だ!」と恨み節を言ったそうである。

しかし路面は徐々に乾いて行き青木はトップを走る。と、ここで再び雨。上位陣が再びウェットタイヤに交換する中、青木はドライタイヤで走り続ける。その判断が功を奏する。再び雨は上がり路面は乾いて行く。そのまま青木がトップチェッカー!めまぐるしく変わる天候のなか、チーム、辻本さんの的確な判断と青木・酒井の巧みな走りで優勝を勝ち取った。

Photo & text : Toshiyuki KOMAI

Snapshot⑧-わずか1ポイントに泣いた2014年シーズン:伊藤勇樹-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。

Racing Heroesでは過去に撮影した写真の中から独断と偏見でセレクト、その時のエピソードと共にランダムに掲載していきます。

2014年アジアロード選手権SS600クラスチャンピオン:Md Zaqhwan Zaidi(ザクワン・ザイディ)170ポイント。第2位:伊藤勇樹169ポイント。その差はたったの1ポイント。

2011年からアジアロード選手権に参戦を開始した伊藤。2012年はシリーズランキング5位。翌2013年は同4位。2014シーズンは開幕戦でいきなり2位、初表彰台を獲得。幸先の良いスタートを切った。迎えた日本ラウンド連戦。オートポリスでは予選14番手に沈んだがレース1で2位表彰台を獲得。藤原克昭(優勝)、小山知良(3位)と日本人が表彰台を独占した。

連戦開催の鈴鹿。ここでポールポジションを獲得する。コンマ4秒の中に7台がひしめく超接近戦。レース1は5位。そしてレース2、混戦を制してアジアロード選手権初優勝を飾る。日本ラウンド終了時にランキング2位につけた。この初優勝で勢いに乗った伊藤は次戦タイ:ブリーラムで2連勝!鈴鹿から3連勝を飾りザクワン・ザイディに対して25ポイントのアドバンテージを築いていた。

最終戦カタール。予選2位の伊藤はレース1で7位と失速。それでもレース1終了時では4ポイント上回っていた。そして迎えたレース2。4ポイント差でゴールすればチャンピオン決定。しかし優勝はザクワン、伊藤は2位。優勝と2位のポイント差は5。僅か1ポイントの差に無念の涙を飲んだ。

2020 年、伊藤はアジアロード選手権:ASB1000クラスに参戦。開幕戦マレーシアで優勝を飾る。私生活でも全日本ロードレースで活躍した白石玲菜さんと結婚。公私共に好調なスタートを切った矢先のコロナ禍。今は我慢だが再開したら伊藤の活躍に期待したい。

Photo & text : Toshiyuki KOMAI

 

snapshot⑦-高橋巧:2010年史上最年少鈴鹿8耐優勝-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。

Racing Heroesでは過去に撮影した写真の中から独断と偏見でセレクト、その時のエピソードと共にランダムに掲載していきます。

2010年、鈴鹿8耐に新たな記録が生まれた。20歳の高橋巧が最年少優勝を果たした。(1996年芳賀紀行選手の21歳を上回った)2008年にはハルクプロから鈴鹿8耐に初参戦して3位表彰台を獲得。ここで最年少初表彰台記録も樹立していた。2009年にJSB1000クラスへステップアップ。2010年からハルクプロに所属。開幕戦筑波で優勝、続く鈴鹿も2位と好調のスタートを切る。

ランキングトップで臨んだ鈴鹿8耐。ペアを組んだのが清成龍一と中上貴晶。この勢いに乗じて優勝を狙う高橋。中上は決勝レースを走ることなく高橋と清成の2名で8時間を走った。この年は路面温度が65℃超にもなる酷暑。優勝がかかったプレッシャーと酷暑が高橋の体力を奪うが懸命の走りで優勝を果たす。

清成とは2012年にもペアを組んで走るが残念ながら41位。しかし高橋はこの2回の鈴鹿8耐で清成の執拗なまでに勝利にこだわる姿勢に傾倒、2019年の鈴鹿8耐は清成と優勝したかったと悔しがる。(参照:「清成さんのためにも、自分のためにも勝ちたかった」男気を魅せた高橋巧の鈴鹿8耐

今シーズン、念願であった世界の舞台へ闘いの場を移す。WSBK(ワールドスーパーバイク選手権)にフル参戦となったが開幕戦オーストラリアはマシントラブルからまともに走れず。次戦以降に望みを繋ぎたいところだったがコロナウィルスの影響で未だに開催されず。世界で闘う高橋の勇姿を魅せて欲しい。

Photo & text : Toshiyuki KOMAI

snapshot⑥-アジアロードレース:日本ラウンドで魅せた藤原克昭-

新型コロナウィルスの影響で2020年の開幕を迎えられない全日本ロードレース選手権。感染し亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、感染された方々の早期回復と皆様の健康をお祈り申し上げます。

Racing Heroesでは過去に撮影した写真の中から独断と偏見でセレクト、その時のエピソードと共にランダムに掲載していきます。

バイクのハンドルの上に足を乗せて不敵に構える。この大胆なポーズが藤原克昭たる所以だ。「俺って天才!」ファンを喜ばすために嘯く。しかしそこには必ず結果を出すと言う覚悟が潜む。人一倍の努力を惜しまず自らを徹底的に追い込む。その姿は誰にも見せない。それが藤原克昭という男。

2012年、アジアロード選手権チャンピオン連覇がかかった最終戦。しかし自分たちではどうしようもない不可抗力の理由でチャンピオンを逃した。一番悔しいのは藤原自身のはずなのに一切の言い訳をせず「一秒前は過去のこと。我々は2013年に向かって歩き出す」とコメントした。(参照:『1秒前のことは過去のこと。我々は次に向けて動き出す』 藤原克昭選手の勝利への執着心

2013年、鈴鹿で3位&2位表彰台獲得。翌週のオートポリスでポールポジションからの2連勝を挙げ、その速さを見せつけた。

迎えた2014年、何としてもチャンピオンを獲るべくして臨んだ日本ラウンド。オートポリスでは前年に続きポール・トゥ・ウイン。鈴鹿でも1勝を挙げて計4レース中2勝を飾る。この時点でランキングトップに躍り出た。

Photo & text : Toshiyuki KOMAI